2017年09月18日

中津村開拓日誌・第7号−3(2001年4月発行)

秋と言えば、田舎はカキです。
フライにしたり、生にレモンをかけて……

ちが〜う。木に成るカーキ。
ひとりでボケ、ひとりでつっこむ。
これぞ大阪人の真骨頂。
何を言っているの?さて、本題。

引っ越してきた年の冬、
親しい人からカキの苗木をいただいたのです。
何本も買ったからと1本くれました。

日当りの良いところに植えたせいか、
どんどん大きくなり、去年の秋には、小さな実をつけたのです。

4、5個あったと思いますが、そのうちの3個が成長をつづけ、
大きく鮮やかなオレンジ色に、いやカキ色になりました。

ころあいを見計らい、食すことに。

うまい!これはうまい!
自分の家でできたものほど、美味しいものはない。

霜降りのステーキおよび大トロには負けますが、やっぱり。
でも、うれしさが美味しさを引き立てるのです。

なんだかどこかのキャッチフレーズのようですが。

今年は梨ができるでしょうか。できてほしい。

ちなみにわが家には、うめの木とリンゴの木もあります。

うめは買ったのですが、リンゴは大阪にいる時に、
食べた後の種を植えて育てたものです。

こちらに来てからは急激に大きくなっています。

レッドデリシャスという品種のリンゴを覚えているでしょうか。

アメリカ産なのですが、
輸入を開始してすぐに薬かなにかの問題が起き、
輸入禁止になったリンゴです。

apple.jpg


あは〜。そんな種から育ったリンゴは大丈夫でしょうか。

大丈夫だ。そう信じよう。
信じれば道は開かれる。何のこっちゃ。まぁ、いいか。

posted by 遊酔 at 10:58| Comment(0) | 回顧・中津村開拓日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

中津村開拓日誌・第7号−2(2001年4月発行)

秋、村の祭です。
いまだ見たことがありません。

村民としては、誠に申し訳ないのですが、興味がありません。

一度は見ておいた方がいいだろうなぁ、とは思うのですが、
どうも屋台のない祭はだめです。

大阪のえべっさんや天神祭のように、
ずぅら〜と並んでないと行く気にならないのです。

なんて風情のないやつだと思われるでしょうが、
これはどうしようもないのです。

祭は食べるだけでいいのです。
子どもの頃から、成長していないのでしょう。

それに、祭の準備にお声がかからないのです。

うちが嫌われているのではありません。
うちの部落の新人さんたちは、みんなそうです。

遠慮しているのでしょうか。
でも、次の日の慰労会には呼ばれます。

前回は欠席しました。
何も手伝っていないのに、飲み食いだけするのは、
どうも気がひけるからです。

しかし、今回は行くことにしました。
あまり断わり続けるのも失礼かと思ったからです。
田舎暮らしは、気を遣います。

顔は知っていても、あまりしゃべったことのない人ばかりで、
手持ち無沙汰。

ごくろうさまの言葉やご挨拶が終わって、さあ乾杯。

フゥー。さて、どうやって時間をつぶそうか。
とにかく飲んで食べることにしました。

その日は、すしや刺身、鍋がでで〜んと並んでいました。

パクパク、ムシャムシャ、ペロ。
「どんどん食べてや」と区長に言われるまま、食べて飲んで。

ちょこっとまわりに気を遣い、
ビールなど注いでみたりしながら、また食べて。

そんな時、ちょっとした、
いや、じわじわと大きく感動する出来事に遭遇するのでした。

鍋に入っている白身の魚は、
なんと、なんと、ク、ク、クエなのでした。

知っていますか?
大きな魚です。
この辺りで、よく獲れるのです。
あの有名なクエ鍋ですよ。

知らんてか?
もう!

大阪で食べれば、
1人前8.000円〜10.000円はするという代物です。
地元で食べても、安くて6.000円くらいです。

そのクエを無造作にほうり込んで食べているのです。

なんだかめっちゃプリプリして、
うまい魚だなぁとは思っていたのですが、まさか!でした。

一度食べたいと思っていたので、ヒデキ感激!
私は遊酔ちゃんでした。

ヒデキもやっと結婚か。どうでもいいけど。
そうです。クエはうまいのです。

そこから、私の食べるペースが早くなりました。
もう、そのお姿を見ることはないかもしれません。

kue.jpg


今年も慰労会行こうかなぁ。
準備手伝えよ。すみません。

でもやっぱり、祭は好きになれません。

何が面白いんだ。
またまた食べ物の話になりましたね。
食べることでしか季節を感じない、おろかな私。

posted by 遊酔 at 12:40| Comment(0) | 回顧・中津村開拓日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

中津村開拓日誌・第7号−1(2001年4月発行)

21世紀になってしまいました。
と言っても、もう4月ですが。

何の感動もなく、いつもと同じ正月を迎え、
同じように月日が経ってしまいました。

21世紀と言えば、「梨」です。
ん?あれは20世紀でしたね。

誰もが思うでしょうが、20世紀梨の名前は変わるの?という疑問。

変わりませんでした。そりゃそうでしょ。
私の名前だって、さとちゃん21にはなりませんでしたもの。

21世紀梨は作らないのでしょうか。
と、つまらん書きだしです。

なぜこんなことを書いたかと言うと、
わが家の梨の木に、花がい〜〜〜っぱい咲いたのです。
びっくりです。

去年、1、2個咲いて、実は成りませんでしたが、
なんと、今年は花が満開なのです。

まわりの山々は桜が満開ですが。

も、も、もしかして今年はわが家の梨が食べられる?
いやいや夢を見てはいかん。

梨は袋をかぶせたり、めんどうなことが多い。
めんどうなことがキライなわが家の住人に、
そんなことができるだろうか?

いや、なんとかがんばりたい。
うまくいけば、梨農家になれるぞ!
梨の木は、120cm位のものが、1本しかありませんが。
あっはは。

それでは、第7号のはじまりです。

またまた、去年のことから書かねばならん。
もう忘れた。え〜と。

そうです。夏の終わり頃のこと。
作業場で、もくもくと(水曜だった気がするが)
おもちゃを作っていた時です。

足元になにやら大きな気配が……。

ゲッ、げっ、でっ、でっけえくもだ!うひゃ〜。

よく見れば、沢ガニです。なんで?

ここは作業場。なんでカニがおるカニい。不思議な経験です。

近くに小さな沢(大きければ川ですね)があり、
そこから溝がつながっているので、わが家へやって来たのでしょう。

つまんで溝に入れてやりました。
大きくなって、タラバやズワイになって帰ってくるんだよ。

良い子は、おじさんの言うことを聞かないようにしましょう。

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2017年08月27日

中津村開拓日誌・第6号−4(2000年8月発行)

手長えびを捕りにいきました。

どのあたりに多くいるかがわからないので、
とりあえず遊びやすい場所を選びました。

ちょっと水のたまったところを見つけ、
中を覗いてみると……いるではありませんか、わが家のおかずが。

さっそく「たも」ですくい始めました。
釣り用の網のことを“たも”と言いますが、
このあたりでは、虫捕り網もたもと言います。

私たち夫婦は「網」と言いますが、翔馬は「たも」と言っています。

ちなみに、翔馬に「サンダルはいて」と言っても通じません。
サンダルのことを「水セッタ」と言いますから。

そんな話はさておき、手長えびはなかなかすばやい。
これが難しい。

やっとのことで、11匹をゲットしました。
私が8匹、嫁が3匹、翔馬に捕れるはずはありません。
たった11匹に2時間もかかったのでした。

tenaga.jpg


近くの流れの早いところで、「たも」とバケツを持って
何かしているじいちゃんに声をかけてみました。

バケツの中にはなんと手長えびがいっぱい。
ベテランには勝てません。
おまけに、うなぎまで捕っていたのです。うらやましい。

11匹のおかずを持って帰り、から揚げにしました。

バケツからザルに入れようとしたら、
ピンこら、ピッこら跳ねまわり、そりゃもう大変さ。

小麦粉に入れたら、おとなしくなりましたが。

1匹ずつ箸でしっかりつまんで、油の中にジュッ。
それはあざやかな赤に変わっていきました。

揚げたてに塩を振って、ちょっとお味見。

これが、うんめぇ〜の。
活きの良さで身はプリプリ。
ブラックタイガーを超える深いコク。
車えびクラスには、大きさで負けるかもしれませんが。

お昼のおかずのはずが、その場でなくなってしまいました。

こんなに美味しいのなら、
こちらに移ってすぐにでも捕りに行けば良かった。
3年以上経って初めて食べたのでした。
あ〜あもったいない。まあ、夏の楽しみが増えました。

ところで、昼ごはんのおかずは?

仕方ないので、ラーメンライスと「たこの塩辛」にしました。
このたこ塩、なかなかの逸品なのです。

いかの塩辛は、生臭くて食えませんが
(これはあくまで私の意見ですが)、たこ塩は臭みがなく、
旨みだけが残り、唐辛子で少しだけピリッとくるのです。

白浜に観光用の魚市場があり、そこで売っています。

函館で作っているようなので、
あちらでも売っているのではないでしょうか。

いか塩よりかなり安く、美味しいおすすめです。
一度お試しあれ。

関係ない話でした。夏はまだまだ続きます。
暑いわらよぉ〜。

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2017年08月20日

中津村開拓日誌・第6号−3(2000年8月発行)

翔馬が少しだけ泳げるようになったんですよ。
平泳ぎで5mほどですが。

先日猛特訓したのです。
あーしろこーしろと、何度も何度も何度もやらせました。

ここまで来るんだ。とうちゃんの身体に触れるまでだ。
がんばれ息子よ。

思いこんだら、試練の道を。行くが男のド根性。

あれを見ろ。あの光るのが巨人の星だ。
大嫌い!

阪神タイガースでアニメを作れ!
そしたら、阪神ファンの子どもは増えるはずだ。
何を書いているんだ、私は。

そうそう翔馬はがんばりました。
泳げなければ、昼ごはんが食べられなかったところです。

まあ、5mと言っても、川上から川下に向かって泳いだので、
流れて来たようなものですが。
ハハハッ。自信がつけばいいのです。

kaeru.jpg


話は変わります。

川と言えば、翔馬に絵を描かせるために川に行ったことがあります。
そこで、噂に聞いた「手長えび」を発見したのでした。

これは、いいおかずが出来る、と思ったものの、
網もバケツも何も持って来なかったので、捕れませんでした。

なかなかすばやく動くので、手ではムリです。

嫁はんが自分の靴を脱いですくおうとしたのですが、ダメでした。
臭いかなぁ。ごめんって。

今度は道具を揃えて行こうと思います。生活のために。

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2017年08月13日

中津村開拓日誌・第6号−2(2000年8月発行)

夏と言えば、「恐怖の電話事件」を語らずにはいられない。

夜になり、雷が“ゴロゴロドッタ〜ン”。
ザザザザザと大雨。

都会ではあまり経験しなくなった停電にはなるし。
暗闇に稲光りが“ピ〜カ〜チュ〜”と光るし。

そんな時です。
あまりにも恐ろしい出来事が私たちを襲ったのは。

ピカチ、もういいか。
ピカッと光った瞬間、電話のベルが“トゥルルルル”。

背筋を寒くしながら、受話器を取ると……“キャ〜〜”
「プープープー」なんだ間違い電話か。

しばらくすると、またピカチュもういいって。
ピカッと光った瞬間、
“トゥルルルル”「プープープー」同じ現象が。

なぜ光った瞬間なのだろうか。
間違いやいたずらにしては、タイミングが良すぎる。

あれ〜おかしいぞ〜、
と子ども番組のごとく言ってはみたものの、ちょっと寒気が。

もしかして、かみなり様のいたずらか。恐い!
高木ブーだったら、もっと恐い。

次の瞬間、ピカリッ。“トゥルルルル”ヒェ〜、恐ろしすぎる。

あまりの恐ろしさに、電話のモジュラーをはずすことに。

さすがに、その後は鳴らなくなりました。
それで鳴ったら本物の恐怖映画です。
ホラ、見たことかとなります。
恐怖ものは「ホラー」と言うでしょ。
それだけのつまらんダジャレです。

えーえー、私が悪かった。
そうや!そんな事件も今年はまだ起きていません。

posted by 遊酔 at 08:29| Comment(0) | 回顧・中津村開拓日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月04日

中津村開拓日誌・第6号−1(2000年8月発行)

むしむし、ムシムシ、蒸し蒸し……暑い暑いあ〜あ暑い。
言っても仕方ないけど、言わずにおれぬ。

こう書くとみなさんも暑くなったでしょ。
そんなことはないって。
それはあなたがお金持ちで
エアコンをずっとつけているからですよ。

外では「そうめんの夏」をしつこくアピールするセミが鳴いているし、
私たちが“中国ゼミ”と呼んでいるあやつも
額に汗を流させる要因であります。

なぜ中国ゼミかと言うと、
「シェシェシェシェシェシェシェシェ、イ〜〜」と鳴いているからです。

ほら、よ〜く聞いてください。
えっ、いま夜ですか。じゃあ昼にどうぞ。

暑苦しいやつらだ。がしかし、いないと寂しいもんです。
夏はやっぱりキンチョー、
いやセミがいた方が良いと思う、今日この頃です。

さて、今回の開拓日誌。前回から1年以上が過ぎてしまいました。
もう忘れてしまわれましたか。いかんのぉ〜。
まあ、がんばりますので、読んでやってください。


思い起こせば、昨年5月からのことを……。

5月も終わり頃、わが家のしょぼい畑を見に行くと−−
ええい、うっとうしい!
モンシロ蝶が30頭以上乱舞しているではありませんか。

自然のすごさに感激しつつも
“てめえら、キャベツに卵生むなよ”と畑に突進する私がいました。

いかん、自然を受け入れなくちゃ。

しばらくして青虫だらけのキャベツとの戦いは始まったのでした。

やがて、虫捕りの甲斐あってか、
毎日、山のようなキャベツが食卓に並ぶこととなりました。

私はキャベツ信仰者ですので、
飽きることなく美味しい食事をいただいたのですが、
嫁と翔馬はあっちを向いていました。
身体にいい万能選手なのに。

tyoutyou.jpg


同じ頃でしょうか。
畑で作るのに失敗した人参が、家の軒下にできていました。
なんでや!

うちの畑の土は栄養がないので、だまって引っ越したのかなぁ。
そんなところに種は植えていませんから。いろいろありますね。

やがて夏になりました。

暑い暑いと外出先から家に帰ると、テーブルの上にはカマキリが……。

古い農家でもないので、
カマキリが入ってくるような隙間はないと思うのですが。

全身を棒のようにのばして入ったのか。
だとしたら、身体をすべり込ませるのには、
あごを使ったのだろうか。
などとバカな想像はやめよう。時間の無駄だ。

posted by 遊酔 at 10:23| Comment(0) | 回顧・中津村開拓日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

中津村開拓日誌・第5号−2(1999年5月発行)

1999年2月11日午前7時。
オシログラフの波は平らになり、数字は0を表示していた。

親父が亡くなった。71歳。
持病の喘息が悪化。入院して27日目だった。

突然すぎた。
亡くなった時は、何日か前から意識がなかったので、
「長い間ありがとう」の言葉も言えず、逝ってしまった。
悔いが残る。

でも、持病がありながら、
71歳まで生きたことを喜ぶべきかもしれない。
そう思いたい。

しかし、もうひとつの悔いがある。
入院した当初は、1週間ほどで退院できると医者は言っていたのだ。

それがどうだ。まさかである。薬の副作用だ。
救急車で運ばれたので仕方がないが、別の病院だったら……
と考えてもムダなことを今も思う。
心配ばかりかけてごめんな、おとん。

こんな誌面で書くことではないが、
ちょっとお知らせしたかっただけです。        



1999年1月19日、午前10時40分。
私は手術台にうつ伏せに寝ていた。

麻酔は背中下部だけなので、起きていたが。
そういう意味じゃないって。

20年ぐらい前から2cmほどのおできのような、
しこりのようなものを保有していた。
それが痛みだしたので、病院へ行ったのです。

幸か不幸か、総合病院の皮膚科が休みだったので、
消化器外科にまわされた。
いやな予感。だから皮膚科に行きたかったのに。

淡々とした医者の言葉「もう取ってしまいましょ」。
簡単に言うな。
「明日の10時半に来てください」。

えええ、明日。心の準備が……。

翌日10時半、窓口へ。

看護婦さんが、これまた淡々と「行きましょか」。

ひょこひょこついていくと、手術室だった。やっぱり。
もしかしてこれくらいなら、処置室で済まされるかな、
という甘い考えは打ち消されました。

「はい、これに着替えて」と
安いビジネスホテルのパジャマのようなものを渡されて、
私の質問「全部脱ぐんですか」。
看護婦「いえ、パンツはいいです」。
ちょっとハズかしい。

そしていよいよ手術台へ。
部屋の暑さと緊張で、額に汗が。
助手の人が優しく汗を拭ってくれました。
でも男です。クソ〜。

正味20分くらいの手術なのですが、長いこと長いこと。

痛みはないのですが、
切ったり、出したり、縫ったりする感触はわかるのですよ。
気持ちの良いものではありません。

何が痛いって、麻酔が痛いのなんの。
針を入れてグリグリするの。何箇所も。なんでよ。

終わってから、医者が取り出したかたまりを見せてくれました。

デカい。こんなん入ってたん?と思うほどです。

アルコールかホルマリンか知りませんが、
ビンに入れられていたのは、病理解剖でもするのでしょうか。

それとも、20年も持っていたので珍しいから標本ですかね。

いずれにしても、その後何も言って来ないので、安心しています。

「はい、帰っていいですよ」で終わりました。

しかし、残ったキズは大きい。
夏、泳ぎに行ったら、やくざ屋さんに思われないかなあ。        


あれこれありすぎた、この1年。
ちいと疲れたけど、わいは元気よらよ。
これからもこの日誌に書けるような、いろんな体験をせねば。

でも、つらいことはいりません。
楽しい毎日でありたいですね。

今回は、あまり面白い話は書けませんでしたが、まあ、ご容赦を。

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2017年07月20日

中津村開拓日誌・第5号−1(1999年5月発行)

1998年11月10日、午後5時20分。
私が木工作業中のこと、嫁はんのどなり声が……。

“翔馬がけいれんしてる!”

あわてて部屋へ行くと、白眼をむいて震えています。
熱があったので、どうやら熱性けいれんのようです。

冷静に対処しなければ、と自分に言い聞かせ、
嫁はんに救急車を呼ばせました。

その間もけいれんは治まりません。
1分ほどたったでしょうか、身体が硬直し始めたのです。

“なんじゃ、こりゃ!”と松田優作をやってる余裕などありません。
そして、呼吸が止まったのです。

もしかして、この子は……といやな想像が頭をかすめ、寒気が走りました。

少し様子を見ていましたが、呼吸は戻りません。

救急車はまだか!待ってはいられない。
頭にある人口呼吸法を思い出します。

首を反らし、気道を確保。ゆっくりと息を吹き込みます。
だめだ、もう一度。さらに一度。5〜6回したでしょうか、
翔馬が息を吐く「はぁ〜」の声。

良かったぁ、戻った!やったぞ〜!
寒イボがひいていく感覚がありました。

やがて眼に黒い玉が現われました。
しかし、まだ意識ははっきりしていません。

一生懸命に名前を呼び、意識を戻そうとしました。

ところどころで私を見るようになりました。
そうこうしているうちに、救急車のピーポーピーポーの音が。

「翔馬、救急車来たで。救急車乗れるで!」と言った瞬間、
翔馬の眼がパチリと開き、意識が回復しました。

なんでも言ってみるもんです。
しかし安心はできません。

とりあえず救急車に運び、隊員に症状を説明。
すぐに30分ほど離れた病院へ行きました。

翔馬の意識が戻っていたので、私は帰りのことを考え、
自分の車でついていくことにしました。
私の運転なら、救急車のスピードについていくことはたやすい。
と思ったけれど、実際は信号につかまり少し遅れました。
パトライトが欲しかった。

KYUKYU.jpg

病院での翔馬は元気そうです。
ただ、5歳児が熱性けいれんを起こすことは珍しく、
「てんかん」になる可能性があるとのこと。
後日、脳波の検査をしなくてはいけなくなりました。

そのうえ、風邪などで熱が出た場合には、
けいれん防止剤の坐薬を入れなければいけないのです。

その夜は、なんと3時間もの点滴を受けましたが、帰ることができました。

帰り道、コンビニで晩ごはんを買いました。
街にはコンビニがあるのです。いいなぁ。

この日ばかりは翔馬の好きなものを買わせました。
元気になった翔馬は、ごはんを食べながら
「こんど救急車に乗ったらぁ、またローソンでなんかこうてなぁ。」。

バカヤロー、何回も乗るもんちゃうわ。
でも翔馬は、これで救急車に乗るのは3度目でした。

後日の脳波検査では、てんかんの脳波異常は出ていませんでしたが、
5歳児にしては、乱れていると言われ、
再度半年後に検査要となりました。やれやれ。

小さい頃に、喜ぶからと
ぶるんぶるんと振り回していたのが悪かったのでしょうか。

まあ、ひとまず安心か。
そう思わなければやってられないわ。

その後何度か熱を出し、病院へ行くことしばしば。
坐薬を入れることたびたび。でも翔馬は元気です。

後でわかったのですが、熱性けいれんは動かさず、
名前も呼ばず、静かに様子を見た方がいいのだそうです。

1分ぐらいで治まれば、自分で病院へ連れて行き、
5分ぐらい続くようなら、救急車を呼んだ方がいいとのこと。

そんなに冷静ではいられないですよね。
でも、呼吸が止まった時に人口呼吸をしたことは正しかったと思います。
でなければ、いまごろは……。

小さなお子さんのいる方は、すぐに救急車を呼びましょう。
救急隊員はみんな優しいです。

それに比べて警察は#※♀§♭£☆⊇∬∇。
おっと、これは関係ないことでした。
ご家族に警察官のいる方はごめんなさい。

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2017年07月12日

中津村開拓日誌・第4号−2(1998年4月発行)

今回のテーマは「自然環境への適応能力の解明」。

なんのこっちゃ。
私たち家族の住む環境についてお話しするだけのことです。

これまでの号で書いてきた通り、自然がいっぱいです。
しかし、自然の中ゆえにいろんな不便があるのです。

電気はいまやどこでも引けます。
住む家より1km以内に電柱があれば、ただで引いてくれます。
無くても1mごとに幾らかのお金を払えばいいのです。

幸いうちは、村道沿いに電柱がありましたので、
問題はありませんでした。

電話も大丈夫。
ただ、電話線が川を渡らなければいけないので、
ちょっと時間がかかりましたけど。

ガスはもちろんプロパン。

問題は、水でした。
上下水道もちろん無し。
井戸を掘る予定だったのですが(
私がではありません。工事の人です。)、
掘っても出るかどうかわからないと言うのです。

そこで予備の手段として考えられていた、
山の涌き水を摂る方法にチェンジ。

「わぁ〜、涌き水なんて美味しそう!」と思うのは、都会人の浅はかさ。
いまや日本の水は汚染され、
よほど山奥に行かないと、美味しい水はありません。
うちが摂っている水もやはり大腸菌などがいるのです。

そこで、蛇口から水が出るまでの仕組みを。

涌き水をパイプで大きなタンクに溜めていき、
そこからポンプで家の水道へと引き上げるのです。

ポンプといっても、「となりのトトロ」に出てきた
昔の手押しポンプではありません。
電気を使っています。

上がって来た水は「除鉄器」という名の濾過器を通り、
「滅菌器」という名の消毒装置から出て来る塩素を注入し、
蛇口へとやって来るのです。

つまり、都会と同じ方法で水がつくられるわけです。
まあ、都会の汚い川の水よりはいいですが……。

排水はどこへ行くかというと、
合併浄化槽でバクテリアによって分解され、
ある程度きれいになって外へ流されます。

かなり有効な手段だそうですが、完璧ではありません。
現時点ではもっともいいのですが……。

次に周辺のことを解説しましょう。

家の玄関側は、村道。眼の前には山があります。
反対側は日高川で崖のように落ち込んでいます。

通称「鳴滝」と言われるぐらい、岩場で水の音がうるさいのです。
のんびり水遊びのできるようなところではありません。

秋には、落ち鮎を捕る仕掛けが取付けられています。
いま頃からは「ハイ」と呼ばれる小魚が、
毛針や御飯粒で釣れるそうです。

からあげが美味いらしい。
まだやっていないので、今年は庭から釣りをしようと考えています。

その崖には“山蕗”や“いたどり”が出ています。
これも見逃せません。

知らない人は辞書をどうぞ。
他にも山菜はあるようですが、私たちにはわかりません。
また誰かに教えてもらおうっと。

花もいろいろと咲き乱れています。
彼岸花の季節には、真っ赤な花が道の両側につらなり、それは見事です。

また、うちの崖には杉が何本かあるので、
いずれは切り倒してあげようと思っています。

「そんな可哀相な!」と思われるかもしれませんが、
日本には杉が多すぎ、なんてね。

竹が少しあるので、これを増やして竹林にしたいのです。
涼しそうでしょ。

どうです。やっぱり田舎はいいでしょ。
動物のご遺体があったって、それ以上に得るものは大きいのです。
またご遺体があったらどうしよう。

posted by 遊酔 at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧・中津村開拓日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする