2017年07月20日

中津村開拓日誌・第5号−1(1999年5月発行)

1998年11月10日、午後5時20分。
私が木工作業中のこと、嫁はんのどなり声が……。

“翔馬がけいれんしてる!”

あわてて部屋へ行くと、白眼をむいて震えています。
熱があったので、どうやら熱性けいれんのようです。

冷静に対処しなければ、と自分に言い聞かせ、
嫁はんに救急車を呼ばせました。

その間もけいれんは治まりません。
1分ほどたったでしょうか、身体が硬直し始めたのです。

“なんじゃ、こりゃ!”と松田優作をやってる余裕などありません。
そして、呼吸が止まったのです。

もしかして、この子は……といやな想像が頭をかすめ、寒気が走りました。

少し様子を見ていましたが、呼吸は戻りません。

救急車はまだか!待ってはいられない。
頭にある人口呼吸法を思い出します。

首を反らし、気道を確保。ゆっくりと息を吹き込みます。
だめだ、もう一度。さらに一度。5〜6回したでしょうか、
翔馬が息を吐く「はぁ〜」の声。

良かったぁ、戻った!やったぞ〜!
寒イボがひいていく感覚がありました。

やがて眼に黒い玉が現われました。
しかし、まだ意識ははっきりしていません。

一生懸命に名前を呼び、意識を戻そうとしました。

ところどころで私を見るようになりました。
そうこうしているうちに、救急車のピーポーピーポーの音が。

「翔馬、救急車来たで。救急車乗れるで!」と言った瞬間、
翔馬の眼がパチリと開き、意識が回復しました。

なんでも言ってみるもんです。
しかし安心はできません。

とりあえず救急車に運び、隊員に症状を説明。
すぐに30分ほど離れた病院へ行きました。

翔馬の意識が戻っていたので、私は帰りのことを考え、
自分の車でついていくことにしました。
私の運転なら、救急車のスピードについていくことはたやすい。
と思ったけれど、実際は信号につかまり少し遅れました。
パトライトが欲しかった。

KYUKYU.jpg

病院での翔馬は元気そうです。
ただ、5歳児が熱性けいれんを起こすことは珍しく、
「てんかん」になる可能性があるとのこと。
後日、脳波の検査をしなくてはいけなくなりました。

そのうえ、風邪などで熱が出た場合には、
けいれん防止剤の坐薬を入れなければいけないのです。

その夜は、なんと3時間もの点滴を受けましたが、帰ることができました。

帰り道、コンビニで晩ごはんを買いました。
街にはコンビニがあるのです。いいなぁ。

この日ばかりは翔馬の好きなものを買わせました。
元気になった翔馬は、ごはんを食べながら
「こんど救急車に乗ったらぁ、またローソンでなんかこうてなぁ。」。

バカヤロー、何回も乗るもんちゃうわ。
でも翔馬は、これで救急車に乗るのは3度目でした。

後日の脳波検査では、てんかんの脳波異常は出ていませんでしたが、
5歳児にしては、乱れていると言われ、
再度半年後に検査要となりました。やれやれ。

小さい頃に、喜ぶからと
ぶるんぶるんと振り回していたのが悪かったのでしょうか。

まあ、ひとまず安心か。
そう思わなければやってられないわ。

その後何度か熱を出し、病院へ行くことしばしば。
坐薬を入れることたびたび。でも翔馬は元気です。

後でわかったのですが、熱性けいれんは動かさず、
名前も呼ばず、静かに様子を見た方がいいのだそうです。

1分ぐらいで治まれば、自分で病院へ連れて行き、
5分ぐらい続くようなら、救急車を呼んだ方がいいとのこと。

そんなに冷静ではいられないですよね。
でも、呼吸が止まった時に人口呼吸をしたことは正しかったと思います。
でなければ、いまごろは……。

小さなお子さんのいる方は、すぐに救急車を呼びましょう。
救急隊員はみんな優しいです。

それに比べて警察は#※♀§♭£☆⊇∬∇。
おっと、これは関係ないことでした。
ご家族に警察官のいる方はごめんなさい。

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2017年07月12日

中津村開拓日誌・第4号−2(1998年4月発行)

今回のテーマは「自然環境への適応能力の解明」。

なんのこっちゃ。
私たち家族の住む環境についてお話しするだけのことです。

これまでの号で書いてきた通り、自然がいっぱいです。
しかし、自然の中ゆえにいろんな不便があるのです。

電気はいまやどこでも引けます。
住む家より1km以内に電柱があれば、ただで引いてくれます。
無くても1mごとに幾らかのお金を払えばいいのです。

幸いうちは、村道沿いに電柱がありましたので、
問題はありませんでした。

電話も大丈夫。
ただ、電話線が川を渡らなければいけないので、
ちょっと時間がかかりましたけど。

ガスはもちろんプロパン。

問題は、水でした。
上下水道もちろん無し。
井戸を掘る予定だったのですが(
私がではありません。工事の人です。)、
掘っても出るかどうかわからないと言うのです。

そこで予備の手段として考えられていた、
山の涌き水を摂る方法にチェンジ。

「わぁ〜、涌き水なんて美味しそう!」と思うのは、都会人の浅はかさ。
いまや日本の水は汚染され、
よほど山奥に行かないと、美味しい水はありません。
うちが摂っている水もやはり大腸菌などがいるのです。

そこで、蛇口から水が出るまでの仕組みを。

涌き水をパイプで大きなタンクに溜めていき、
そこからポンプで家の水道へと引き上げるのです。

ポンプといっても、「となりのトトロ」に出てきた
昔の手押しポンプではありません。
電気を使っています。

上がって来た水は「除鉄器」という名の濾過器を通り、
「滅菌器」という名の消毒装置から出て来る塩素を注入し、
蛇口へとやって来るのです。

つまり、都会と同じ方法で水がつくられるわけです。
まあ、都会の汚い川の水よりはいいですが……。

排水はどこへ行くかというと、
合併浄化槽でバクテリアによって分解され、
ある程度きれいになって外へ流されます。

かなり有効な手段だそうですが、完璧ではありません。
現時点ではもっともいいのですが……。

次に周辺のことを解説しましょう。

家の玄関側は、村道。眼の前には山があります。
反対側は日高川で崖のように落ち込んでいます。

通称「鳴滝」と言われるぐらい、岩場で水の音がうるさいのです。
のんびり水遊びのできるようなところではありません。

秋には、落ち鮎を捕る仕掛けが取付けられています。
いま頃からは「ハイ」と呼ばれる小魚が、
毛針や御飯粒で釣れるそうです。

からあげが美味いらしい。
まだやっていないので、今年は庭から釣りをしようと考えています。

その崖には“山蕗”や“いたどり”が出ています。
これも見逃せません。

知らない人は辞書をどうぞ。
他にも山菜はあるようですが、私たちにはわかりません。
また誰かに教えてもらおうっと。

花もいろいろと咲き乱れています。
彼岸花の季節には、真っ赤な花が道の両側につらなり、それは見事です。

また、うちの崖には杉が何本かあるので、
いずれは切り倒してあげようと思っています。

「そんな可哀相な!」と思われるかもしれませんが、
日本には杉が多すぎ、なんてね。

竹が少しあるので、これを増やして竹林にしたいのです。
涼しそうでしょ。

どうです。やっぱり田舎はいいでしょ。
動物のご遺体があったって、それ以上に得るものは大きいのです。
またご遺体があったらどうしよう。

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2017年07月04日

中津村開拓日誌・第4号−1(1998年4月発行)

その出来事は、私の脳の空白をノミで刻まれるがごとく、
刺激の強いことだった。

眼に飛び込んできたものは、
「あちゃ〜、まさか、うちの前で。なんでやねん。」
という予期せぬ光景であった。

動物が昇天しとるがな。勘弁してくれよぉ。
なんで隣へ行かへんねん。おっとお隣りさん失礼。

恐怖のあまり、関西弁になってしまいます。

都会人だった私には、動物のご遺体を処分するなど、
頭部回路の中にはまったくありませんでした。

よ〜く眺めてみたのですが、何の動物なのかがわからない。

たぬきにしては、胴体が細長い。
たぬきのご遺体は見慣れているから、違うことはわかります。

いたちか?はたまたきつねか?あなぐま?
そんなものがいるのだろうか?

よくわからないのは、そのご遺体が腐っていたからでした。
頭部3分の1は白骨化し、胴体は毛皮がほとんど剥がれ、
腐った匂いが鼻をかすめたのです。

なぜ、腐ったご遺体がここにあるのかが不思議すぎる。

とんびやからすが運ぶ途中に落としてしまったのか?
崖から転がり落ちてきたのか?

事件は謎に包まれている。解決のカギは現場にあり。
じ〜〜〜っと見ても、気持ち悪いだけです。

これはコナン君の登場か。

とにかくご遺体を処分しなければ……。
都会にいたなら、すぐに役所へTELなのだが、ここは田舎だ。
ここでTELしたなら、男のメンツが、いや田舎人の誇りが許さない。

自分で処分。う〜ん、気持ち悪い。

軍手をはめ、おそるおそる右手をかけたその時、
ずるっと皮が剥がれた。

いや〜ん。
左手も添え、やっとのことで抱えて、道端の谷側へポイしました。

土に埋めるなど、おせんちなことをやってあげるほど、
田舎はあまくありません。

他の動物のえさになったり、自然に帰って行くのです。
本当は早く処分したかっただけですが。

それに、腐っているので、かわいそうとか思う余裕がないのです。
いまだ匂いと手の感触は残っています。

そういえば、庭に動物の内臓だけが落ちていたことも……。
なんでぇ〜。

もうひとつ動物の話を。うちからほど近い隣の部落の出来事です。

私の親しくしている人の庭に、大きな猪が出現。
それを知った近所のおじいちゃんが駆け付けた。

禁猟期間で銃が使えないと言い、
なんと猪のしっぽをつかんで押さえ込み、
ハンマーで頭を叩いて仕留めたのです。

他の人とそれを川原へ運び解体し、肉をわけたのです。

素手で猪を捕まえるなど、すごすぎる。
そんなたくましさが、私は欲しい。

しかし、銃を使わないからといって、
禁猟期間に猪を捕まえていいのかなぁ?

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2017年06月29日

中津村開拓日誌・第3号(1997年11月発行)

それは、突然の来訪でした。
紀州新聞(和歌山県日高地方だけの地方紙です)の記者が、
私を取材したいと言うのです。

悪いことは何もしていません。
そうだ、嫁はんが道に落ちていた栗を拾って来たことがあります。
ねこババした妻を持つ夫にインタビュー……?。

いえいえ、木のおもちゃを創っていることが、取材対象だったのです。

髭も剃っていません。作業用の服は何ヵ月も洗っていないし。
髪もボサボサです。いやだわぁ、お化粧もしていないのに……。
おっと、これは失礼。つい大阪人根性で、笑いに走ろうとします。
本題に戻ります。

取材は私もよくしていたので、
受け身になっても緊張はありませんでした。

おもちゃを持ってカメラにポーズ。
あることないことペラペラおしゃべり。

2日後の新聞に、なんと!デカデカと私が映っているではないですか。
これにはドキドキ。
地方紙と言えど、新聞に載るとちょっと鼻高々。

あちらこちらで、「新聞に載ってたねぇ」「見たよぉ」と声がかかり、
村ではちょっとした有名人となりました。

田舎では、顔を知られる方が生活しやすくなるので、
今回の事件は役に立っているのです。

だからと言って、
おもちゃがすぐに売れるようになるわけではありません。
先は長い。−−−と、こんなイントロで、今号は始まります。


中津村に来て、はや6ヵ月。
はや(焼肉屋さん)にもしばらく行ってないなぁ。食いたい。
いかん最初から横道だ。何から書こうか。
そうだ、夏に書いていないことを―。

引っ越して来てすぐの頃。庭の隅にかぼちゃとキュウリを植えました。
和歌山は夏の日差しが強いので、よく育つこと。

前号でいろんなモノを村の人たちにいただいたことを書きましたが、
これに加えて、我が家のキュウリが食卓を彩ってくれました。

毎日2〜3本、一生懸命に食べなくてはいけません。
そうです。でき過ぎなのです。

スーパーでは、3本200円ぐらいで売られているのに、
うちではいやというほどできるのです。

ピクルスにした残りをサラダやもろきゅうにして食べました。
美味しいから、うれしいのですが。

ここでひとつ教訓。雑草の多いところの近くに植えると、
地這い種のキュウリはあちらこちらに行って、
消息がつかめないことがあります。
これに注意。

毎日探していても、何度か見落とし、
とんでもない事態を招くことがあります。

大きくなり過ぎ、
な、なんと37cmのお化けになって発見されたことがありました。

またいつぞやは、その姿を変え、
体積4倍はあろうかという“うり”になっていたのです。
しっかり、うりの漬物として食しました。
味もうりふたつ。なんてな。自然とは恐ろしい。

どうも私は食べ物の話が多いですが、
ついでにある日の我が家の食卓を紹介します。

鮎の甘露煮・鮎の塩焼き・芋の茎とベーコンの炒めもの・
大根のまびき菜の漬物・ピクルス・ごはん。

う〜む、贅沢なメニューだ。
えっ、そうでもない?
うちではすごいメニューなのです。

この話、何がポイントなのかと言うと、
ベーコン以外、鮎にかけるすだちにいたるまで、
いただきモノもしくは自宅でできたモノなのです。
お米だって、新米の精米したてをいただいたのです。

どうだ!人づきあいは大切です。
何か違うんじゃない?と思われる方もいるでしょうが、気にしない。

ある時など、山の中なのに、
釣ったばかりのサバをいただいたのですぞ。
これがまた旨いのなんの。サバ特有の臭みがない。
内臓がプリンプリン。こんなの初めてです。

中津村はいいところです。
相変らず、いただきモノに弱い私たちです。
食べ物の話はこれくらいにして、村の環境のことなど……。

秋も深まり、紅葉が空気をほんのり赤く染めています。

朝夕の冷え込みが頬に紅を差すごとく、
ゆっくりとあざやかに厳しさを増していきます。

やがて木々は葉を落とし、道を冬へと彩るのです。
美しい自然。私たち3人は、初めての冬を迎えます。

ぜんぜん似合わんので、やぁ〜めた。

近くに温泉施設ができたんで、冬はええぞぉ。
村民はタダ券もろとらぁよぉ。タダは気持ちええ。
券なくなったら行かんのんよ。
まあ、村には温泉と自然しかないらぁよぉ。
あと、ホロホロ鳥があるけんど、高くて食べれまぁ。

注:方言はたぶん間違っていますので、雰囲気だけお届けします。
       
話は変わります。

畑をつくりました。
山の土をダンプで運んでもらい、せっせせっせと畦づくり。

幾日かかったでしょう。
やっとできた時には、作付けの時期を少し逃し、
いまだ小さな芽があるのみ。

土も痩せているので、ちゃんと育つかどうか。

大根・人参・白菜など冬のモノとキャベツ・エンドウ・玉葱などの
春モノを植えたのですが、鍋の季節に白菜は間に合うのでしょうか。

畑には、うちの生活がかかっています。
また食べ物の話になりました。風情のない私です。

松ぼっくりやどんぐり拾い、山のお散歩などもしていますので、
ここにつけ加えておきます。

♪それでは皆様、ごきげんよぉ〜♪
ちゃっきり娘をお存じですか?古い大阪人の私。

posted by 遊酔 at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧・中津村開拓日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月26日

中津村開拓日誌・第2号(1997年8月発行)

夏です。
中津村には、静かだけれどジリジリと音をたてて
太陽の光が降り注いでいます。

川べりには、水遊びを楽しむ家族が
都会から大勢やって来るわけで……。

僕たちは、そんな風景を横目で見ながら、
壊れたクーラーをつけない軽四で街へと買い出しに行くのです。

暑いです。

♪あ〜あ〜あああああ〜あ〜♪
と「北の国から」で始まる開拓日誌第二号は……。

太陽がジリジリというのはほんの少しで、台風だらけです。
庭の木は折れるわ。草は昼寝するわ。テレビは映らんようになるわ。

ちなみにうちは、パーフェクTV(CS衛星放送)を見ています。

うんわぁ〜田舎でかっこいいじゃん!と思うのは素人です。
普通の民放が入らないのです。

近くの部落の共同アンテナから線を引いてくるのは、
数十万円かかるので、仕方なく衛星のみを見ているのです。

NHKは入るんでしょ、と言う方もいるでしょうが、
たった2局のためにアンテナをつけて、
受信料を払うのは、私のポリシーに反します。

これで堂々と受信料の集金をはねのけることができます。
大阪でも払っていませんでしたが。

横道にそれましたが、衛星放送は台風に弱かったのです。
台風の情報が知りたいのに、テレビが映らないのは困ったものです。

閉ざされた世界です。まぁ、いいか。


■トピックス

田舎生活も2ヵ月が過ぎ、村の人との交流も広がり、
少し楽しくなってきたところです。

人びとは本当に親切で、ここに決めて良かったと思います。

何がいいかって、野菜をくれるところです。
モノをもらうと無条件降伏してしまう私たちです。(あさましいか)

YASAI3.jpg

少し前に橋本市(和歌山県)に住むお友だちが遊びに来てくれた時、
たくさんの玉ねぎをいただきました。

これは助かるわい、と思っていたらその一週間後、
近くの人がじゃがいもと玉ねぎをどっさり持って来てくれ、
しばらく買わなくて済むなぁとまた考えていたら……。

その2日後、嫁はんと翔馬が行った
駄菓子屋兼日用雑貨店で店番をしていたおばちゃんが、
人参・キュウリ・トマト・じゃがいも・玉ねぎを
またまたどっさり持って来てくれました。

あちゃ〜、野菜を買わなくていいや。

まだまだ続きます。

その4〜5日後、散歩から帰って来た時、
バイクに乗った見知らぬおじちゃんに逢い、
“こんにちは”とごあいさつ。
田舎暮らしの基本です。

すると、「あんたら、この家の人?」
「はい、そうです。引っ越して来ましたので、よろしくお願いします。」
と言うやいなや、「野菜いらんか?」とおじちゃん。

いきなりです。
戸惑いながらも「はぁ、いります。」。

畑すぐそこやから、
♪取りに来るならあげましょう。行きましょう、行きましょう。♪
と、桃太郎の家来になってしまう私たち。

おじさんは畑に入り、キュウリだ、ナスだ、人参だ、
とうもろこしだと、次々に取ってくれ、
「また今度、かぼちゃ持っていってあげらぁ。向こうの畑にあるから。」
と言ってくれました。

家に帰って、外の水道でいただいた野菜を洗っていると、
やって来ました、おじちゃんが。

さっそくかぼちゃを持って来てくれたのです。
それがまたでかいの。

いやぁ、本当にありがたいことです。

おばちゃんにトマトをいただいた時も、
おじちゃんのかぼちゃの時も、
その前に買ってしまっていたのが、とても悔しい。

ここで教訓。
『買い物前には、まず散歩。』

それにしても、初めて逢った人にこれほど親切にされると、
“ドボじて、ドボじて”(いなかっぺ大将より)と涙してしまいます。

まだ少し続きがあります。

しばらくして、うちを建てていただいた不動産屋さんが、
「これ、もらいものやけど」と、
かぼちゃ・ナス・ピーマンを持って来てくれました。

こんなことってあるのです。
いまや我が家は野菜天国です(表現が古すぎる)。

そろそろ我が家も畑を作ろうかと思っているのですが、
この分だと作らない方がいいかなぁ、
と打算してしまう今日この頃です。

忘れていましたが、
木工をしている同士ということで親しくなった方からは、
いんげんやトマト・キュウリ・ナス。

近くのログハウスの方からは、
「きのこを栽培しているお宅からいただいた」という
しめじや手作りパンをいただいたことを
書かないわけにはいきません。

貧困家庭の食卓が、旬の新鮮野菜でとても豊かになりました。

ありがたや、ありがたや、なぁむぅ。

この野菜事件には、いろんなお話がかくされています。

まず、いただいた、もぎたてとうもろこしを
すぐに塩ゆでして食べた時のうまかったこと。
翔馬もキレイに食べてしまいました。
翔馬はとうもろこしが苦手だったのに。

また、もぎたていんげんをゆでて
塩だけで食べることの美味しさも知りました。
甘いのです。

ほんのちょっとの苦味がアクセントになり、
口のなかで広がる何とも形容しがたい豊かな香り。
う〜む、美味しんぼ。

とうもろこしのおじちゃんに、
私がゲートボールに誘われたことも書かねば。

「みんな年を取って、ゲートボールをする人が少のうなった。」
と私にお声がかかったのです。

このおじちゃんは80歳です。
じゃあ、他の人はいくつだ?

「やったことがないですからねぇ。」と話をごまかしましたが、
この分ではいずれしなければならないかも。

posted by 遊酔 at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧・中津村開拓日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月22日

中津村開拓日誌・第1号(1997年6月発行)

「中津村開拓日誌」は、家族や友人に送っていた、
“田舎暮らし通信”です。

田舎暮らしへのあこがれを実現するため、
和歌山県日高郡中津村へとやってきた。
木のおもちゃづくりで生計を立てながら、
のんびりと畑を耕し、散歩をしたり、釣りをしたり……
のハズだったが、現実はそんなに甘くない。
その日その日を生きている。
でも、得るものは大きく、やっぱり田舎で良かったと思えるのです。
そんな私たち一家の中津村での暮らしを
ちょっとご紹介したいと思います。


いきなりトピックス

私たち一家3人が、のそのそと散歩していた時のこと。
出ました、蛇です。
体長2mはありそうな灰色のあやつが道を横切り、
草むらへと入って行きました。

大阪の家にもいましたが、あんな大きなのは初めて。
ちょっとドキドキ。嫁はんは平気。
翔馬(当時3歳)は、何なのかわからなかったようで、平常心。

山の中に蛇がいるのは当然のことだ。
と自分に言い聞かせ、歩き出しました。

しばらくして、道端にいいものを見つけました。野いちごです。
黄色のもので、茎はトゲトゲ。
遥か遠い記憶で食べたことがあったのですが、
ちゃんとした名前はわかりません。
ほんのちょっと齧ると、
甘酸っぱさが舌の先だけに広がりました。
嫁はんも少し。翔馬にはあげませんでした。
毒だといけないので。すねていました。

もう少し歩くと、道端に梅の木があり、実がなっていました。
かなり落ちていたので、誰も取らないようです。
欲しい!いま土地の持ち主を探しています。

ほんの20〜30分の間に、都会にはない発見だらけです。

道の横に日高川が流れていて、
しばらく行くと少し流れの緩やかな川辺があるので、
翔馬を遊ばせました。

川遊びは初めてで、もうウハウハ喜ぶでよ
(わかる人は少ないでしょうが)。

ズボンもパンツもシャツもびしょびしょ。
着替えは持っていません。そのまま帰りました。

お昼のラーメンを食べに帰ろうと言うと、泣き出しました。
(うちは貧乏ですが、翔馬が好きだから、
ラーメンになっただけのことです。念のため。)

川遊びが気に入り、ずっといたいようです。
そんなことより昼めしです。私のお腹が優先します。

USAGI2.jpg

家でもまだぶちぶち言うので、ドライブすることに。
と言っても、村を一周するだけ。のんびりたらたら走ります。

またまた蛇です。う〜む。
次は、小さな物体がチラッ。なんと野うさぎの子供です。
逃げようとしません。弱っているのかなぁ。

嫁はんは、道の反対側の草むらに連れていってあげようか、
と言いましたが、私はやめときなと。
もしかしたら、いま道を渡って来たところかもしれないからです。

やっと渡ったのに、また戻されたら
「何するんじゃ、あん、てめぇ。」と言うかもしれません。
怒ったら怖いです。

弱っているならかわいそうですが、
人間が手を貸していいものかどうか。
自然を破壊して道路を作ったのは人間だから、
もう手を貸すしかないという考え方もありますが。
難しいところですが、そのまま立ち去りました。
嫁はんは気にしていましたが……。

帰りにコーラを買って飲みました。まだまだ都会人です。

たった1日の出来事ですが、都会の何年分もの発見をした感じです。

そうそう、太陽のまわりに虹のような奇麗な輪が出ていたのですが、
何と言う現象かどなたか知りませんか。

posted by 遊酔 at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧・中津村開拓日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする