2017年07月27日

中津村開拓日誌・第5号−2(1999年5月発行)

1999年2月11日午前7時。
オシログラフの波は平らになり、数字は0を表示していた。

親父が亡くなった。71歳。
持病の喘息が悪化。入院して27日目だった。

突然すぎた。
亡くなった時は、何日か前から意識がなかったので、
「長い間ありがとう」の言葉も言えず、逝ってしまった。
悔いが残る。

でも、持病がありながら、
71歳まで生きたことを喜ぶべきかもしれない。
そう思いたい。

しかし、もうひとつの悔いがある。
入院した当初は、1週間ほどで退院できると医者は言っていたのだ。

それがどうだ。まさかである。薬の副作用だ。
救急車で運ばれたので仕方がないが、別の病院だったら……
と考えてもムダなことを今も思う。
心配ばかりかけてごめんな、おとん。

こんな誌面で書くことではないが、
ちょっとお知らせしたかっただけです。        



1999年1月19日、午前10時40分。
私は手術台にうつ伏せに寝ていた。

麻酔は背中下部だけなので、起きていたが。
そういう意味じゃないって。

20年ぐらい前から2cmほどのおできのような、
しこりのようなものを保有していた。
それが痛みだしたので、病院へ行ったのです。

幸か不幸か、総合病院の皮膚科が休みだったので、
消化器外科にまわされた。
いやな予感。だから皮膚科に行きたかったのに。

淡々とした医者の言葉「もう取ってしまいましょ」。
簡単に言うな。
「明日の10時半に来てください」。

えええ、明日。心の準備が……。

翌日10時半、窓口へ。

看護婦さんが、これまた淡々と「行きましょか」。

ひょこひょこついていくと、手術室だった。やっぱり。
もしかしてこれくらいなら、処置室で済まされるかな、
という甘い考えは打ち消されました。

「はい、これに着替えて」と
安いビジネスホテルのパジャマのようなものを渡されて、
私の質問「全部脱ぐんですか」。
看護婦「いえ、パンツはいいです」。
ちょっとハズかしい。

そしていよいよ手術台へ。
部屋の暑さと緊張で、額に汗が。
助手の人が優しく汗を拭ってくれました。
でも男です。クソ〜。

正味20分くらいの手術なのですが、長いこと長いこと。

痛みはないのですが、
切ったり、出したり、縫ったりする感触はわかるのですよ。
気持ちの良いものではありません。

何が痛いって、麻酔が痛いのなんの。
針を入れてグリグリするの。何箇所も。なんでよ。

終わってから、医者が取り出したかたまりを見せてくれました。

デカい。こんなん入ってたん?と思うほどです。

アルコールかホルマリンか知りませんが、
ビンに入れられていたのは、病理解剖でもするのでしょうか。

それとも、20年も持っていたので珍しいから標本ですかね。

いずれにしても、その後何も言って来ないので、安心しています。

「はい、帰っていいですよ」で終わりました。

しかし、残ったキズは大きい。
夏、泳ぎに行ったら、やくざ屋さんに思われないかなあ。        


あれこれありすぎた、この1年。
ちいと疲れたけど、わいは元気よらよ。
これからもこの日誌に書けるような、いろんな体験をせねば。

でも、つらいことはいりません。
楽しい毎日でありたいですね。

今回は、あまり面白い話は書けませんでしたが、まあ、ご容赦を。

posted by 遊酔 at 08:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧・中津村開拓日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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